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JOY FM × まいぷれ宮崎

パーソナリティ My History#6

パーソナリティとして誕生するずっと前…こんな幼少期を過ごしていました。

宮崎の情報メディア「JOY FM」と「まいぷれ宮崎」のコラボ企画の新シリーズ『パーソナリティ My History』の第6弾!

パーソナリティとして誕生するずっと前…ひとりの人間としてどこで生を受け、どのような幼少期を過ごしたのか…家族や、生活環境から、実は!話として…当時のエピソードを交えながら、ラジオに関わるキッカケまでの人となり(歴史)を紐解いていきます\(^o^)/

奥山真帆さん出演中!
「ら・ら・ラジオ」 毎週金曜日 8:20-10:55/「dig app !」毎週日曜日18:00-18:55

第6回 パーソナリティ My History『奥山真帆物語』

 

―― 負けず嫌いの少女が、クラリネットそしてラジオに出会うまで。

 

「あなたがならなかったら、誰がなるの?」

 

その言葉が、奥山真帆さんの未来を照らし出した――。

 

エフエム宮崎でアナウンサーとして活躍中の奥山真帆さん。

明るく親しみやすい声の奥には、地道な努力と強い意志、そしてあたたかな感受性がありました。

兵庫県神戸市で生まれ、三田市で育った真帆さんのこれまでの歩みを、じっくりと伺いました。

 

今回の【My History】では、奥山真帆さんのルーツからラジオと出会うまでの物語を辿ります。

「私をお腹に宿した状態で震災に遭った母は言葉に表せないくらい大変だった」と話してくれました。

スクスクと成長してあっという間にお茶目な女の子に♪

■ 甘えん坊で、でも人前が好きだった幼少期

 

1995年、阪神淡路大震災からわずか2か月後。神戸市で生を受けた真帆さんは、4歳ごろから大学卒業までを三田市で過ごします。

 

おしゃべりで、歌が大好き。家の中では即興ステージで家族を笑わせる“ひょうきん者”。アイドルになりきったり、独特のダンスを披露したり…。その姿はまさに「まほちゃん劇場」だったそう。

 

でも一方で、母の姿が見えないだけで泣き出すほどの甘えん坊。迷子センターに自ら「迷子です」と申告した伝説(?)もあります。

車の中でアイーン!

カメラを向けられると何かしらポーズを取る女の子でした。

弟と淡路島でアイーン!とにかく流行ってましたね。

家の中ではアイドルになりきってなんちゃってステージが繰り広げられました。

三田市立三田小学校の3年生の頃には、Mr.Childrenに出会い、歌詞をノートに書き写すほど夢中に。

勉強はちゃんとしていた様ですが「実は、ビビりだったから宿題はやっていかなくて叱られるのが怖かったんです」と笑います。

北摂三田高校吹奏楽部での1枚。先生(中央)の右上が真帆さん!

■ 吹奏楽に捧げた中学・高校時代

 

中学進学と同時に、吹奏楽部に入部。クラリネットを始めたきっかけは、新入生歓迎会で先輩が披露した「キューティーハニー」の超絶技巧。

 

「この楽器がやりたい!」と直感で決めて、以来どっぷり。朝7時前には校門前にスタンバイして自主練するほどの本気モードで、最終的にはパートリーダーに。

 

体育会系並みの練習の中、隙間時間で勉強を続け、他の部活が夏祭りを楽しんでいる中でも、吹奏楽部員だけは“缶詰”で受験勉強。

 

「遊びたい気持ちもあったけど、今振り返ると“よく頑張ってたな”って思います(笑)」

 

高校も北摂三田高校でクラリネットを続け、進学校らしい穏やかな雰囲気の中で、尊敬できる友人たちに囲まれた日々を過ごしました。

 

「音楽が好きな人も多くて、校内でバンド演奏やアカペラを披露するイベントがあったんですよ。その中の一つが、のちにFM宮崎のパワープレイにエントリーされた時にはびっくりでした!」

大学生時代。忙しい日々の中、友達とのほっとする瞬間。

大学時代にはフィリピンに学校を建てるボランティアにも参加しました。

■ 大学時代――フルスロットルの4年間

 

大学は大阪教育大学へ。英語・フランス語を中心とした欧米言語文化を学ぶ一方、往復4時間の通学、複数のアルバイト、学童保育ボランティア、アナウンススクール通いまで、目いっぱい動き続けた4年間。疲労が凄くて頭が痛い思いはしょっちゅうだったようで。

 

「今思うと、どうやってやりくりしてたんでしょうね(笑)負けず嫌いだからっていうのもあるけど、でも全部が面白かったから、苦じゃなかったです」

 

卒論は「ランボーの詩におけるルミエールの考察」…だったかな。
とにかくフランス人は言葉の表現が詩的で、その美しさに魅了されてました。

 

また負けず嫌いは小学校時代の駅伝で火がついたのだと。長距離走で最後から2番目でゴールしたのが悔しくて、翌3年から6年まで毎年駅伝大会に挑戦。ついには選抜チームに。

 

「その時の成功体験が、今の根気強さにもつながっている気がします」

 

ちなみに、社会人になってから挑戦した都農マラソン(ハーフ)では、「きつかった…フルは絶対ムリです!」と即答。

思い返してもどんなふうに1日を1年を過ごしていたのかハッキリとは思い出せないほど忙しかった大阪教育大学を無事卒業!

■ ラジオと出会うまで――“あなたがならなかったら誰がなるの!?”

 

アナウンサーという夢に向かって、大学2年の夏から大阪のアナウンススクールへ。講師だった恩師から「あなた、ラジオが向いてるわね」と言われた言葉が心に残ります。

 

全国の放送局を受験し、なかなか合格が出ず、心が折れかけた時。先生に「どんなアナウンサーになりたいの?」と聞かれ、うまく答えられなかった。

 

そのとき返ってきた言葉が、冒頭の一言でした。

 

「“あなたがならなかったら誰がなるの!?”って怒られて。…あ、やらなきゃ、って目が覚めました」

 

最後の最後、エフエム宮崎からの内定を受け取ったのは大学4年の2月。
そのわずか1か月前、大好きだったその恩師が他界。直接報告できなかった悔しさが、今でも胸に残っているとうっすらと瞳に涙を浮かべながら真帆さんは言いました。

話術だけではなく、立ち居振る舞いや普段の姿勢までも叩き込まれたアナウンススクール時代。

■ 「声」で伝えることの意味

「有名無名を問わず、たくさんの人の話を聞かせてもらえるのが、アナウンサーの特権だと思うんです」

 

学童保育で子どもたちと接した経験も、クラリネットを吹いた日々も、駅伝で見せた根気も、すべてが“声”を通して今に生きている。これからもできるだけ多くの引き出しを作るためにアンテナを張って生きていきたいと語ります。

 

そしてリスナーの方々に一言とお願いすると「毎日ラジオにメッセージを送らなくても、家事しながら、車を運転しながら、何気なく聴いてくれている人がいることを、いつも頭においてマイクに向かっています。そんな人の“日常のそば”に、これからも寄り添いたいと思います」といただきました。

この時代の真帆ちゃんはなぜか人差し指だけぴょこん!本人的にはピースサインだったのかも!?

当時を思い出して同じポーズで!すっかり大人の真帆さんです。

エピローグ

 

「全部が繋がってたんですね」


真帆さんの話を聞きながら、何度もそう感じました。

駅伝のスタートライン、吹奏楽部の朝練、通学電車の中の参考書、コールセンターの電話の向こう、そして、マイクの前。

 

その一つひとつが“声”という軸に吸い寄せられるように、今の彼女をつくってきたのです。

 

真帆さん、これからも“耳”を傾けたくなる声を、ラジオの向こうから届けてください。

真帆さんの実体験に裏打ちされたトークを心地よく聞かせていただきます。

「次回も、FM宮崎・パーソナリティ My Historyをお楽しみに。」

 

 

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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