JOY FM × まいぷれ宮崎
パーソナリティとして誕生するずっと前…こんな幼少期を過ごしていました。
宮崎の情報メディア「JOY FM」と「まいぷれ宮崎」のコラボ企画の新シリーズ『パーソナリティ My History』の第5弾!
パーソナリティとして誕生するずっと前…ひとりの人間としてどこで生を受け、どのような幼少期を過ごしたのか…家族や、生活環境から、実は!話として…当時のエピソードを交えながら、ラジオに関わるキッカケまでの人となり(歴史)を紐解いていきます\(^o^)/

月~木曜 17:15-18:55 放送『レディオパラダイス耳が恋した!』の黒木梨澄さん
―― “草花研究家りーちゃん”が、ラジオと出会うまで。。
その一言が、すべてのはじまりだった。
今や、宮崎の夕方の顔とも言える番組「レディオパラダイス 耳が恋した!」(通称:耳恋)のパーソナリティとして活躍中の黒木梨澄さん。
その笑い声と飾らないトークで、リスナーから親しまれている彼女にも、数々の「迷い」と「決断」のストーリーがありました。
今回の【My History】では、梨澄さんのルーツからラジオと出会うまでの物語を辿ります。

黒木梨澄さんは、宮崎市高岡町の出身。たくさんの山や川に育まれた自然豊かな町です。
「ニックネームは“りーちゃん”。ふざけるのが大好きで、いつも変なことしては周囲を笑わせていました」
一人っ子だった彼女は、ひとりで遊ぶのも得意。
「親も共働きで忙しかったし、一人の時間が多かったけど、全然寂しくなかったですね。近所に“秘密基地”を作って、放課後はそこで何時間も過ごしてました。自分の世界に入り込んで、草花研究家気分で、花の研究のお話を作って、なぜか妖精を登場させたり、想像の中でいろんなごっこ遊びをしてました」

幼少の頃から笑いの基礎を叩きこまれました。笑

忙しい合間をぬって愛情を注いでくれました。
小学校3年生当時は“家出”に憧れがあって…ある日、家出してみたい憧れを行動に移すんですが、なぜか「じいちゃん一緒に行こ!」と祖父を誘って“家出ごっこ”を決行。パイナップルの缶詰をお弁当みたいに詰め替えて近くの神社まで出かけて行きました。
それで何をしたのかというと境内に落ちていた銀杏を拾って帰って、祖母を巻き込んで一緒にギンナンを作ったそう。
「ちゃんと実を土に埋めて処理してギンナンを作ったんですよ。これがりーちゃんの最初で最後の家出でした。(笑)」

入学したての梨澄さん、3年後に家出を計画するとは??

野外活動はお手のものでした!
中学からは、宮崎県五ヶ瀬町にある五ヶ瀬中等教育学校に進学。山あいの町での6年間の寮生活が始まります。
「入学した当初はホームシックで、毎晩泣いてました。でも、時間が経つにつれて仲間ができて、なんとかやっていけるようになったんです」
中学時代はのらりくらりと過ごしていたという梨澄さんですが、生徒会に立候補したり、陸上部に一瞬だけ所属したりと、何かとチャレンジはしていたそうです。
「生徒会選挙に立候補して当選した直後、謹慎処分を受けるどいうドラマもあって…。でもそれをきっかけに猛省して、任期中は本当に真面目に頑張ったんです。自分で掲げたマニフェスト、ちゃんと達成したと記憶してます。(笑)」

ホームシックを乗り越えられたのも、たくさんの友達が側にいたから。

「私はなんちゃってでしたが、他の部員たちはすごく頑張ってました」
高校では、ひとつの転機が訪れます。
「同室の子が選挙に立候補することになって、タスキに名前を書いて欲しいって頼まれたんです。それを乾かしていたところを、たまたま新任の書道部の先生が見て、“うちに見学来てみない?”って誘ってくれて」
仮入部のつもりが、いきなり大会に出場することに。そして、先輩たちと出場したその大会で、なんと県一位に。
「まさか、と思いました。でも、それがきっかけで正式に入部(そのタイミング?)。そこからは書道に本気で打ち込みました」
その裏では、放送部にも所属し、マイクに向かって“声”を届ける楽しさにも触れていました。
高校3年では受験を理由に退部届を出したら駄目と言われ、結局ギリギリまで頑張った結果、『宮日美展』で賞を受賞されたそうです。
「受験期は本当にしんどかったけど、寮や学校で過ごした友達との絆があったから、乗り越えられたと思います」

ひょんなことから入部した書道部!その後の梨澄さんに大きな影響を与えます。

明けても暮れても書と向き合う日々…精神面を鍛えられました。
大学は立教大学へ。第2外国語で選んだ韓国語がきっかけで1年間の韓国留学も経験。
その後、福岡大学文学部に編入し、さらに韓国語の勉強を重ねます。
「大学院に行って学問を続けたい気持ちもあったけど、人生最大の事件があって結局地元・宮崎に帰ることにしました」
就職先は宮崎市内のホテル。社会人としての一歩は、決して楽なものではありませんでした。
「お金を稼ぐって、こんなに大変なんだって。体力的にも精神的にもきつくて、自分のやりたいこともわからなくなってました」
すぐにホテルを辞めてその後、事務職へ転職し、生活は安定。
「定時で帰れるし、週末は飲みに行ったり、友達と笑って過ごせて。ずっとこのままでいいかな、って思ってました」

「この両親がいたから、自分の生きる道を見つけられたのかもしれません」

両親とのニューヨーク旅行!グランドゼロも間近にみてきました。
そんな時、背中を押してくれたのは母の言葉でした。
「“あんた、本当はもっとやりたいことあるんじゃないの?”って。正直、最初は“いや、別に…”って思ったんですけど(笑)」
数日後、母から「エフエム宮崎でパーソナリティのオーディションをやってるよ」と教えられ、締め切りギリギリで書類と音源を持参。
音源は、自作の韓国語愛を語る“番組”風トークを録音したものでした。
「まさか通ると思ってなかった。でも一次通過の連絡がきて、面接して…合格!しかもそれが“耳恋”だったんです」
パーソナリティの一般公募自体が珍しい中、採用されたことは、まさに“奇跡”だったと言います。インタビュー中も明るく受け応えしていただいたリズムさん、ますますラジオを通して皆さんに元気を届けてくれるはずです。



「ひとり遊びが得意だった少女が、“声”を通して多くの人とつながっている」。梨澄さんの取材を終えて、そんな言葉がふと浮かびました。
どんな出来事も、あとから振り返れば一本の道につながっている。秘密基地で過ごした日々も、寮で流した涙も、選挙のタスキに書いた一文字も、マイクに向かって語った韓国語への愛も。
ラジオの向こうから聴こえるあの笑い声の背景を少しだけ知った今、また新しい魅力が見えてくる気がします。
梨澄さん、“耳恋”でのトーク、これからも耳を澄まして楽しませていただきます!
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。