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JOY FM × まいぷれ宮崎

パーソナリティ My History#8

パーソナリティとして誕生するずっと前…こんな幼少期を過ごしていました。

宮崎の情報メディア「JOY FM」と「まいぷれ宮崎」のコラボ企画の新シリーズ『パーソナリティ My History』の第8弾!

パーソナリティとして誕生するずっと前…ひとりの人間としてどこで生を受け、どのような幼少期を過ごしたのか…家族や、生活環境から、実は!話として…当時のエピソードを交えながら、ラジオに関わるキッカケまでの人となり(歴史)を紐解いていきます\(^o^)/

尾崎まなさん出演中!
「HYBRID MORNING」毎週 月・火 担当

第8回 パーソナリティ My History『尾崎まな物語』

 

―― 目立ちたがり屋の少女が、声の居場所にたどり着くまで。

 

■ 宮崎県日南市吾田、尾崎家の次女として

 

尾崎まなさんは、宮崎県日南市吾田で生まれました。
尾崎家の次女。愛称は「まなっち」。

 

今回の【My History】では、尾崎まなさんの幼少期からラジオと出会うまでの物語を辿ります。

 

3歳まで日南で過ごし、その後は両親の転勤で木城町石河内へ。
小学校入学直前に宮崎市へと移り住みます。

土地を移しながらも、彼女の中に一貫してあったもの――
それは「人の目を惹きたい」という、強烈なエネルギーでした。

ふくよかな赤ちゃん時代。周りの全てに興味あり?

カメラを向ければ大はしゃぎ!大きな笑い声が聞こえてきそう。

■ とにかく、目立ちたい。幼少期の原風景

 

「とにかく目立ちたがり屋でした(笑)」

ホームビデオや写真を見返すと、どうにかしてカメラに映ろうと必死にアピールする自分の姿が、そこかしこに残っているそうです。

未就学児の頃、地元のライブイベントでは自らステージに上がり、お尻ふりふりダンス。満足げな表情でステージを後にした――
その光景を、両親から何度も聞かされてきました。

「自分でも、なんとなく“やってやった”って思ってた記憶があります(笑)」

自己顕示欲旺盛。小学校入学前までの記憶は驚くほど鮮明です。

木城の保育園で同級生は男の子3人に、女の子はまなっち1人。
野山を駆け回り、虫も怖がらずに遊ぶ毎日。

 

宮崎市内の小学校に転校した1年生のある朝、登校途中で拾った毛虫を「これ、見て!」と学校に持っていったところ、周囲はドン引き――。

「その時の空気、今でも覚えてます(笑)」

 

一方で、小学生時代の記憶は不思議と少ない。「怒られていた記憶が多くて……もしかしたら、早めの反抗期だったのかもしれません」

目立ちたがり屋な「まなっち」はこれくらいの衣装では物足りなさそうです。

とりあえず写真撮影時は腰振りポーズが定番です!

■ 中学・高校――耐える経験と、“声”との再会

 

3歳上の姉の影響で、中高一貫の宮崎第一高等学校へ。
6年間、同じ仲間と過ごす貴重な時間が始まります。

中学では、地域交流で経験していたミニバレーの楽しさからバレーボール部へ。しかし現実は厳しく、走り込みはビリ、トス練習も最下位。新入部員30名が、最終的に8名まで減るほどの過酷な環境。1年生の間はボールにも触れさせてもらえず、「負けず嫌い」だけを武器に、耐え抜きました。

最後に監督からかけられた言葉。「一番早く辞めると思っていたけど、よく続けたね」

その一言で、すべてが報われた気がしたといいます。

運動会こそ目立てるチャンス!ワクワクやる気マックスの表情にご注目!

地区のミニバレーに参加していた時の一枚!ボールを繋ぐのが楽しかった時。

バレーボールの他にもドッジボール、卓球、水泳。運動も幅広く経験。

高校の体育ではドッジボール最強クラス。クラス対抗戦3連覇の中で、まなっちは外野スタートという重要な役割を担っていました。

祖父母の家では年末恒例の卓球大会。得意技はサーブ。

水泳は4種目すべて。「陸上より、水の中のほうが得意です」

身体感覚とリズム感。
それらは、のちに“声の表現”にもつながっていきます。

中学時代のバレー部。新入部員は30人いたのだけれど…

耐え抜いたメンバー!まなっちはライトポジションを任されていました。

■ 高校では一転、文化系へ。


小学生時代、放送委員会で給食中のアナウンスをした際、教頭先生からかけられた「今の放送、誰?上手だねぇ」――その言葉が心に残っていました。

 

放送部に入部し、アナウンス部門で全国大会へ。
普段から標準語を徹底し、NHK杯全国大会にも2度出場。“声”が、自分の武器になっていく感覚を掴み始めます。

高校では放送部!県No.1になってNHK杯全国高校放送コンテストに出場!

宮崎弁に負けず、普段から標準語で話すことを意識しアナウンス部門でも全国大会へ。

■ 東京、挫折、そして静かな帰郷

 

大学進学を機に東京へ。
声に少し自信はあったものの、アナウンサーの道には踏み切れず、「東京でしかできない経験を」と、お笑い養成所のワタナベコメディスクールへ。

そこで経験した、忘れられない3分間。

ネタ見せで披露した3分間のネタ。
――誰一人、笑わなかった。

「後にも先にも、あれ以上に怖い経験はありません」

 

“あわよくば”を抱えながらも、現実は甘くなかった。その後宮崎へ帰郷するも、やりたいことは、まだ見えなかった。

勉強第一で頑張りながらも、2回目のNHK杯全国高校放送コンテストに出場!

宮崎のデパートや商業施設のアナウンスのイントネーションを真似するのにハマってました。

■ 社会人――「声」を軸にした生き方へ

 

明確な夢があったわけではありません。
それでも、心のどこかで「声を使う仕事ができたらいいな」という想いは消えませんでした。

さまざまな仕事を経験する中で気づいた、自分の行動基盤。

・声

・他者とのコミュニケーション
・未来につながるかどうか
業種ではなく、業務内容や会社の方針を重視するようになります。

■ ラジオとの出会い、27歳の挑戦

 

FM宮崎の関係者から声をかけられたとき、初めて「ラジオ」という媒体を強く意識しました。

それまで挑戦と失敗を繰り返してきた人生。
声だけで勝負する世界に、不安がなかったわけではありません。

27歳。
決して“若手”とは言えない年齢での挑戦。

それでも、HYBRID MORNINGという恵まれた環境支えてくれる先輩たちの存在が、彼女を前に進ませました。

「今でも自信はないし、迷うことも多いです。
でも、謙虚に、真面目に、感謝だけは忘れないように」

オーシャンドームは当時の宮崎キッズの憧れの場所!この頃の記憶は曖昧ですが…笑

お姉ちゃんの入学記念の一枚!まなっちもしっかりお姉ちゃんの後をついていきます。

■ 未来へ

 

人生には波がある。
生活にも、心にもムラがある。そんな時、無理に流れに乗ろうとせずその時その時を淡々とこなしていく。

養成所時代に見てきた、多様な人生。
その重みが、いまの価値観を形づくっています。

今も続けている消防団活動も、多様な人生に触れられる喜びがあるからこそ。

目立ちたがり屋だった少女は、いま、誰かの朝に寄り添う“声”になりました。

尾崎まなさんの物語は、まだ、静かに続いています。

終始にこやかに、たまにはギャハハと…とっても楽しいインタビューでした♪

エピローグ

 

消防団で培った美しい敬礼!さすがです!

幼少期の目立ちたがり屋エピソードだけを追えば、お笑いの世界へ進んでも不思議ではない――そんな流れに見えるけれど、取材を通して感じたのは、尾崎まなさんは「ひとりぼっち」でいることが、誰よりも苦手な人なのではないかということ。

朝の番組で明るく響くあの声の奥に、ふと滲む優しさ。
それは、自分が味わってきた寂しさを、リスナーには感じさせたくないという想いから生まれているようにも聞こえます。

声は、触れることの次に人に近い五感。
その声でそっと寄り添い、背中を押す――
尾崎まなさんの声は、今日も誰かに小さな勇気と元気を届けています。

「次回も、FM宮崎・パーソナリティ My Historyをお楽しみに。」

 

 

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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