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JOY FM × まいぷれ宮崎

パーソナリティ My History#3

パーソナリティとして誕生するずっと前…こんな幼少期を過ごしていました。

宮崎の情報メディア「JOY FM」と「まいぷれ宮崎」のコラボ企画の新シリーズ『パーソナリティ My History』の第3弾!

パーソナリティとして誕生するずっと前…ひとりの人間としてどこで生を受け、どのような幼少期を過ごしたのか…家族や、生活環境から、実は!話として…当時のエピソードを交えながら、ラジオに関わるキッカケまでの人となり(歴史)を紐解いていきます\(^o^)/

毎週 金 曜日 11:30-13:55『Bunnyのナツウタ ~昭和歌謡を あなたに~』のMr.Bunnyさん

第3回 パーソナリティ My History『Mr.Bunny物語』

 

―― 第3回目は、Mr.Bunnyこと成井一充さん。
宮崎県東諸県郡(当時)高岡町下倉永生まれ、野山を駆け回る、典型的な田舎の子と振り返る。今回はMr.BunnyのMy History~彼の人生を紐解いていきます。

よーく見ると、面影があるような、ないような^^;

シーン1:幼少期の思い出

 

―― まずは、幼少時代について伺いました。

 

僕が小学校低学年の頃は穆佐小で、野山を駆け回るような典型的な田舎の子どもでしたね。粟野神社の境内が遊び場で晴れの日は外で、雨の日は神社の中で遊んでました。屋根裏にまで入り込んで秘密基地を作ったりしてね(笑)。ガキ大将もいたけど、いじめるタイプじゃなくて、面倒見がよくて、今でも交流があるんですよ。
4年生から瓜生野小に転校して、そこでは同級生たちとソフトボールをやったり、少しレベルアップした遊びをしてましたね。当時のニックネームは「かずみっちゃん」。あと、班長に任命されてラジオ体操の音楽を流す役目が渡ったんですけど、当時家にあったラジオの音量が小さいから皆んながちゃんと体操できない!と両親に訴えたら、カーセンサーっていうラジオを買ってもらえました(笑)。それくらい、ラジオが好きだったんですよね。

高岡町で生を受けてすくすくと育っていきます。

シーン2:部活にバンドに生徒会の青春時代

 

―― 学生時代のエピソードを教えてください。

 

中学時代は宮崎北中に通うことになって、野球部に入りたかったけど、あえてソフトテニス部にしました。理由? 野球部は坊主だったのと練習が厳しそうだったので(笑)。
それから、同級生4人でビートルズのコピーバンドを始めたんです。僕はギター&ボーカル。初めて買ったギターは雑誌の裏に載ってた安いエレキギターで、近くの倉庫を借りて練習してましたね。
あと中学の思い出といえば、保健室が溜まり場になってたことかなぁ。若い女の先生がいて、なんか居心地が良かったんですよね。他の生徒はよく怒られてたのに、僕たちはなぜか許されてました(笑)。

学生時代の写真が入ったアルバムが引っ越しの際に紛れてしまったようで…見つかったのがこれ

生徒会の写真、真面目な表情の裏にMr.Bunnyの片鱗が!?

高校時代(大宮高校)もいろいろやらかしてましたよ。2年生のときに生徒会に立候補するんですけど周りの友達がポスターを描いてくれたり、演説してくれたりして、めっちゃ助けられてトップ当選を果たしました。でも重積の会長はちょっとな…というのがあって会長の前にちょっとだけ話をさせてもらう取引をして副会長に収まりました。
その代わりと言ったら何ですけど、校則を次々に変えようって活動に力を入れてました。でも今思うと、先生たちも生徒の自主性を育てようとしてくれてたんだなって思います。
音楽部にも入ってたんですけど、当初は合唱部だったんです。それを僕たちがギターやドラムを持ち込んで音楽部にしてしまったんですよ! 今でも「音楽部」って名前で残ってるはずです。

大宮高校三年生音楽部で、宮崎国体の際に合唱隊で参加した時の写真

シーン3:大学生活~Mr.Bunny誕生!

 

―― 大学時代はどんな感じでしたか?

 

大学は武蔵大学に進んで、マスコミ研究会に入りました。4年間、ほぼ飲み明かしてたようなもんです(笑)。江古田にある「備中」って店に入り浸ってましたね。
でも、将来はディレクターになりたかったんですよ。それで、長期休みの期間にUMKでバイトをしてたんです。でも、いざ就活の時期になったら「男子の採用枠はない」って言われてしまって……。そこで僕、局の部長たちのデスクに「バイトさせてください!」ってメモを置きまくったんです(笑)。それが功を奏して、制作部から声がかかり、そこからカメラアシスタントとして働き始めて、ここで“バニー”が誕生したんです。

「バニーボーイ」は番組の企画内で誕生したキャラクターだった!

シーン4:ラジオとの出会い

 

――ラジオの世界に入ったきっかけを教えてください。

 

東京での生活を終えて宮崎に戻って、フリーで制作の仕事をしていた頃、FM宮崎の井上プロデューサーから声をかけてもらったんです。「昼どき歌謡パラダイス」のMCが辞めるからって。それがきっかけでラジオの仕事が始まりました。
思えば小学校の頃から毎日ラジオを聴いて、中学・高校の頃は「コッキーポップ」「ヤングジョッキー」「オールナイトニッポン」「セイヤング」などなどいっぱい聴いてました。今でもラジオと歌謡曲が大好きなので、この仕事をライフワークにしていきたいと思ってます。同世代が共感できる番組を作り続けたい!目標は82歳まで! 毒蝮三太夫さんみたいなキャラになれたらいいなぁと思ってます(笑)。

ラジオの話題になるとより饒舌に♪

シーン5:先日は初孫も誕生!家族の中には!?

 

―― 最後に、家族の話も聞かせてください。

 

家族構成は、妻ひとり、長男、長女、次男です。
最近初孫が生まれました~♪
うちの次男が「チアリーマンズ」ってグループに所属していて、仕事しながらそんなハードなパフォーマンスを頑張ってる姿を見ると、父親として嬉しいですね。

エピローグ

Bunnyさん!楽しい時間をありがとうございました(*^^*)

最後にBunnyさんは、自らの未来像を多くのジジィとババァに愛された毒蝮三太夫に重ねた。
ラジオを愛して、歌謡曲を愛するBunnyさんが82歳になるまで歩いていく道程には…常に笑いが転がっていることだろう♪

 

 

 

「次回も、FM宮崎・パーソナリティ My Historyをお楽しみに。」

 

 

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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