JOY FM × まいぷれ宮崎
パーソナリティとして誕生するずっと前…こんな幼少期を過ごしていました。
宮崎の情報メディア「JOY FM」と「まいぷれ宮崎」のコラボ企画の新シリーズ『パーソナリティ My History』の第10弾!
パーソナリティとして誕生するずっと前…ひとりの人間としてどこで生を受け、どのような幼少期を過ごしたのか…家族や、生活環境から、実は!話として…当時のエピソードを交えながら、ラジオに関わるキッカケまでの人となり(歴史)を紐解いていきます\(^o^)/
末永 雄大さん出演中!
「 Radio Paradise 耳が恋した!」 毎週 月曜アシスタント!
毎週 月~木 曜日 17:15-18:55
今回の【My History】、 宮崎の夕方を彩るFM宮崎の看板番組『Radio Paradise 耳が恋した!』。そのマイクの前で軽快なトークを繰り広げる末永雄大(すえなが ゆうた)さん。親しみやすい人柄と絶妙な語り口でリスナーを魅了する彼ですが、その歩んできた道のりは実に波乱万丈で、人間味にあふれるものでした。
末永さんの故郷は、北諸県郡高城町大字石山。豊かな自然に囲まれた石山地区で育ちました。
幼少期の末永さんは、ご本人いわく「小憎らしい『義ばっか言う(屁理屈ばかり言う)』子供」。母親から「あんたは口がわざわいして将来危ない目に遭うよ」と心配されるほど口達者でしたが、外で活発に遊ぶより家で過ごすことを好む内弁慶な面もありました。

お母さんに抱かれて幸せそうな末永少年、話せる年になると「義ばっか言う」子供になるとは…この時は誰も知る由もない。
大人数の前で喋るのは大の苦手で、極度のあがり症。中学校へ進学後、作文コンテストでクラス代表に選ばれたものの、全校生徒の前で読む際に緊張で手が震えて読めなくなってしまったという苦い思い出もあります。また、運動は大の苦手で「体育の成績は最初から「1」だから走らなくていい」と先生に言われるほど足が遅かったそうです。
そんな末永少年ですが、高城中学校に入学すると転機が訪れます。担任の先生に誘われて男子バレーボール部に入部すると、厳しい練習に明け暮れる日々に一変。センター(現:ミドルブロッカー)として汗を流し、3年生の夏には県大会ベスト4に食い込むほどの実力をつけました。また、委員会活動では裏方の楽しさに目覚め、「給食委員会」でトラックからの搬入や残飯チェックを真面目にこなした結果、県から表彰を受けて図書券を授与されるというユニークな実績も残しています。

パッと見はかけっこ早そうだけど、通信簿の体育まさかの「1」

あがり症で運動音痴だった少年が、バレーボールで輝く!
高校進学時には「将来は料理人になりたい」という夢を抱き、都城農業高校の食品製造科(現:食品科学科)へ。1年生の時はクラスで誰とも喋らず、心配した担任が家庭訪問に来るほど影が薄かった末永さんですが、3年生の時に大きなチャレンジを果たします。幼少期から大好きだった『高校生クイズ』に出場するため、友達2人の名前をなかば強引に借りてエントリー。得意分野を分担して挑んだ結果、なんと九州大会で優勝し、全国大会(鳥取砂丘)への出場を果たしたのです。

「名前借りるね!」から始まって掴んだ高校生クイズ九州王者という奇跡!!

「東京茶番劇場」は実は2代目。同期にはネルソンズがいた。
高校卒業後はプログラミングなどのIT技術を学ぶため、奨学金制度を利用して専門学校「ASA(アサ)コンピュータスクール」へ進学します。
この専門学校時代の2年間は、まさに怒涛の日々でした。新聞奨学生として朝2時半に起床し、6時まで朝刊を配達。そこから学校へ通い、夕方は夕刊の配達と営業活動をこなし、帰宅は夜10時半というハードスケジュール。過酷な生活の中で体調を崩すこともありましたが、無事に2年間をやり遂げました。
卒業後はそのまま新聞販売店に就職し、真面目な働きぶりが評価されて20代前半で副店長に昇進。しかし、「本当に自分がやりたい仕事は何なのか」と考え抜いた末、幼い頃からの夢であったお笑い芸人の道を志すことを決意します。資金を溜めるために3年半で250万円を貯金し、23歳で吉本興業の養成所『NSC(東京14期)』に入学し、「東京茶番劇場」というコンビで約5年間、お笑いの舞台に情熱を注ぎました。
29歳でお笑い界を引退した後は、IT系の営業会社へ転職して結婚。順風満帆に思えた社会人生活でしたが、38歳の時に離婚を経験し、さらに猛威を振るっていた新型コロナウイルスに感染してしまいます。長期休暇をとり自宅療養のため実家へ帰省した際に母親からかけられた「これからどうするの?」という言葉が、自身の人生を見つめ直すきっかけとなりました。末永さんは意を決して会社を辞め、故郷である宮崎へと戻る決断をしたのです。
宮崎に戻ってからの末永さんは、地域に根ざした多彩な活動に携わっていきます。田舎体験などを提供する団体「ばぁばの知恵袋さくら」のお手伝いをはじめ、前職のIT会社での経験を活かした高齢者向けの「スマホ教室」の講師、さらには高城町商工会青年部による「高城プロレス」へ参加するなど、精力的に地域を盛り上げる活動を行っていきました。

高城プロレスではヒール役に徹しています!

近隣のイベントにもちょくちょく呼ばれるほどの人気に!
末永さんとラジオとの出会いは、新聞奨学生として深夜まで働いていた専門学校時代にさかのぼります。
孤独で過酷な配達生活のなか、深夜ラジオから流れてくる芸人たちのトーク(『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』や『バナナマンのバナナムーン』など)が、疲れた心にすっと寄り添ってくれました。画面越しではなく、すぐ隣で話しかけてくれているような近しい感覚と親近感。ラジオはいつしか、末永さんにとって欠かせない心の支えとなっていったのです。
宮崎に戻った後、地域の活動を行う傍ら、旧「シティFM都城」(コミュニティFM)がボランティアパーソナリティを募集しているのを発見します。「無給でもいい、芸人時代に叶わなかったラジオで喋る夢を叶えたい」という一心で企画を持ち込み、1年間のミキサー練習を経て、念願の番組枠を獲得しました。

家族写真!母親の前に写ってるのが本人。両親(両サイド)とお姉ちゃんと二人の弟、センターは弟の友達です。
そんな中、運命の扉が開きます。FM宮崎(JOY FM)の人気番組『ウィークエンドジャム』内で 開催された企画「MASP(マスピー)オーディション」に音声を送ったのです。全国から約50名が参加した狭き門の中、持ち前のトーク力とキャラクターで勝ち残り、最終審査へ進出。惜しくも結果は2位でしたが、審査員からも高い評価を受けました。
そしてオーディションから1年の時を経て、ついにチャンスが巡ってきます。FM宮崎を代表する夕方の番組『Radio Paradise 耳が恋した!』への出演オファーが舞い込み、パーソナリティとしての新たな一歩を踏み出すことになったのです。
「一番人生できつかった時期に、自分を支えてくれたのがラジオでした。だからこそ、今度は自分が誰かにとってのそんな存在になりたいんです」と末永さんは語ります。
ラジオの魅力は、「今日辛いことがあっても、明日になればあの人の番組が聴ける」と思えるような、日常の中にあるささやかな楽しさや安心感だと末永さんは考えています。
「今はアシスタントとして先輩方をサポートしながら勉強の毎日ですが、いつかは自分の名前がついた冠番組を持てるようになるのが目標です」
挫折や回り道を重ねてきた末永さんだからこそ生み出せる、温かみとユーモアのあふれるトーク。彼の発する言葉は、今日も宮崎の夕空に溶け込み、頑張る誰かの心をやさしく解きほぐしています。

真っ直ぐで力強い眼差しと、どんな波瀾万丈も笑顔に変えて答えていただいたお人柄が伝わる温かいインタビューでした。

今から都城へ帰ります!笑
数々の苦労や転機を笑い飛ばし、真摯にマイクへ向かう末永さん。取材中のまっすぐで力強い眼差しには、どんな経験も糧にして前へ進むしなやかさと、ラジオへの深い愛があふれていました。
人生の遠回りも挫折も、すべてはリスナーの心に寄り添う言葉の深みへと変わっています。ラジオを通じて誰かの毎日にそっと灯りをともす末永さんのトークは、宮崎の夕方の宝物です。
これからも末永さんらしく、温かい声と情熱で笑顔の輪を広げていってください!応援しています!
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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