清武町商工会
清武に来たならここは押さえておきたい歴史・文化スポット
豊かな自然に恵まれた清武は、随所で貴重な史跡や歴史的文化財と出会うことができます。清武に来たならここは押さえておきたい歴史・文化スポットをご紹介します。
清武の大楠
宮崎県下最大の楠
船引神社
樹齢およそ900年といわれる大楠は船引神社の境内にあり、社殿を見守るように常緑の葉を繁らせています。
高さ25m、幹回り13.2m、根回り18mの堂々とした姿は、県下最大の楠として知られ、昭和26年に国の天然記念物に指定されました。
平成5年9月の台風13号で大きな枝が折れるなどかなりの被害を受け、一時は心配されましたが、その後順調に生長しています。
主幹の内部は9mほどの高さまで空洞になっており、底は8畳ほどの広さがあります。幹にはテイカカズラやノキシノブなどの植物が寄生しています。
清武の大楠(きよたけのおおくす)住所:宮崎県宮崎市清武町船引7074−3(船引神社境内)
問い合わせ:
0985-85-1628駐車場:有り
安井息軒旧宅
清武町が生んだ偉人「安井息軒」
江戸時代の学者・安井息軒は、清武町が生んだ偉人です。
幼いころから学問に励み、「一日の計は朝にあり。一年の計は春にあり。一生の計は少壮の時にあり」という考えのもと、多くの人材を育てました。
旧宅は中野の武家屋敷群の中にあり、国指定文化財です。平成6年に、もとの茅ぶきに戻すなどの整備が行われました。平面積は95.321平方メートル。旧宅の東側に当時の古井戸が残っており、息軒が自ら植えたとされる梅が枝を広げています。
園内の生誕碑に刻まれた「今は音をしのぶが岡のほととぎす いつか雲井のよそに名乗らむ」の歌は、息軒が若い頃に向学への思いを詠んだものです。
安井息軒旧宅(やすいそっけんきゅうたく)住所:宮崎県宮崎市清武町加納甲3368-1
問い合わせ:
0985-85-1111駐車場:有り
黒北発電所
現役では、県内最古の水力発電所
清武村が時代の文化的進展に大きく寄与した出来事に、水力発電の建設があります。
「日向水力電気株式会社」という会社が、清武川上流の豊富な水源を利用して黒北に建設し、明治40年に当時の宮崎町付近に初めて送電しました。
出力200キロワット。これが宮崎県で一般に電灯がともされた最初の電力量でした。
県内の電源開発事業はこの後、めざましい発展を遂げていきますが、その始まりが、清武川の水力を利用した黒北発電所だったわけです。発電所は当時の姿そのままに、今も電力を供給し続けています。
黒北発電所(くろきたはつでんしょ)
住所:宮崎県宮崎市清武町船引
(九州電力(株)黒北発電所)
駐車場:有り
清武城址
清武の地域を守り、攻めにくい砦として活躍
戦国時代以前に築かれた「清武城趾」。標高70mほどの丘にある本丸跡に、城跡の碑が今も残っています。
1615年頃まで清武城は、清武の地域を守り、攻めにくい砦として築かれていました。
戦国時代の名残を残す歴史的な施設です。
※近隣に駐車場が無いため、徒歩での移動がオススメです。
清武城址(きよたけじょうし)
住所:宮崎県宮崎市清武町加納776-2
駐車場:なし
きよたけ歴史館
清武の歴史を知るなら「きよたけ歴史館」
きよたけ歴史館がある清武町中野地区は、江戸時代は飫肥藩清武郷の中心で、息軒の父滄洲(そうしゅう)の尽力により藩校に先駆けて創建された郷校「明教堂」の跡地。
歴史館には、安井息軒展示室(肖像画、遺言状、20代前半の息軒のろう人形などを展示)を中心に、考古展示室や図書資料室(息軒の日記、井上真改の刀剣などの展示)、 展望室などがあります。
きよたけ歴史館の北側から宮崎市街の眺望も清武の隠れた名所としてオススメです。
併設する茶室「香梅庵」はレンタルが可能。茶道具一式そろえてあります。
茶室の使用については、詳細はこちらから
茶室「香梅庵」(外部リンク)
きよたけ歴史館(きよたけれきしかん)
開館時間:9:00~16:30
休館日:毎週月曜(祝日の場合は翌日)、祝日の翌日(土・日・祝日を除く)、12月29日~1月3日
入館料:無料
駐車場:有り
市指定史跡 伊東祐堯公墓
日向に強力な地盤を築いた英主
伊東 祐堯(いとう すけたか)は、日向伊東氏6代(伊東氏11代)当主。
伊東歴代屈指の勇将で短期間で伊東氏を日向の代表的な勢力に育て上げた功労者として有名です。
北は門川、南は宮崎市まで領土を支配し、国内外に伊東家の存在感を示しました。
文明十七(1485)年、飫肥の島津攻撃に出陣する子、祐国(すけくに)を見送った後、清武城で病死しました。
市指定史跡 伊東祐堯公墓(ししてしせき いとうすけたかこうぼ)
所在地:宮崎県宮崎市清武町船引
駐車場:有り
清武城主:稲津掃部助の墓碑
25歳の若さで清武城の城主となった人物
稲津掃部助は19歳で伊東祐兵(すけたけ)の小姓となり、豊臣秀吉の朝鮮出兵にも従軍。その力量を評価され25歳の若さで清武城の城主となった人物です。しかし、その伊東家によって命を落とすこととなった悲運の武将としても知られています。また、掃部助と妻・雪江の墓は当初、日向灘を向いて建てられていましたが、江戸時代に飫肥藩の船が日向灘で沈むことが多発した際、掃部助の怨念が原因ではないかということで東向き(海側)から西向き(山側)に直されたという言い伝えも残っています。
清武城主:稲津掃部助の墓碑(きよたけじょうしゅ いなづかもんのすけのぼひ)
所在地:宮崎県宮崎市清武町加納甲1003
駐車場:なし
五輪塔(黒坂観音)
密教の五大思想を表す石塔
黒坂地区黒坂観音堂境内にある鎌倉時代につくられた石塔で、密教の五大思想(地・水・火・風・空)を表しています。塔の土台部分は、昭和41年に県指定文化財となりました。この五輪塔は、当初南東約1キロの勢田寺境内にあったものを廃寺になった明治の初めに黒坂観音堂境内に移したといわれています。
五輪塔(ごりんとう)
所在地:宮崎県宮崎市清武町木原
駐車場:有り(黒坂公民館)
中野神社
日向国一國一社八幡宮の最初の八幡宮として創建された中野神社。
清武町内で最も古い神社の神楽である「中野神楽」は、毎年旧暦2月の初午に奉納。現在まで途絶えることなく伝承されています。
中野神社(なかのじんじゃ)
所在地:宮崎県宮崎市清武町木原525-2
駐車場:有り
今泉神社
神代の昔、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が清武町円目岳に降臨したことにより当地に祀った今泉神社。
夏の日照りの雨乞いには、必ずここにお祈りし、今泉地域の農業従事者の崇拝の的となっている。
今泉神社(いまいずみじんじゃ)
所在地:宮崎市清武町今泉丙1525
駐車場:有り
太平洋戦争銃弾痕
後世に残る戦争の爪痕
太平洋戦争では1945年4月26日に加納地区が、B29爆撃機により激しい空爆を被害を受けた。その爆撃により、一瞬のうちに13名のいのちが奪われ、あちこちで家屋の全半壊や焼失、そして田畑などにも、大きな被害があったそうです。
爆弾の破裂で無数の破片が当った痕跡が石垣に残っており、当時の悲惨な状況を私たちに伝えています。
戦争を二度と繰り返さないことを願い、記念碑も建設されています。
太平洋戦争銃弾痕(たいへいようせんそうじゅうだんあと)
所在地:宮崎県宮崎市清武町加納甲
駐車場:なし